なぜ証明写真ボックスへ入るのに恥ずかしさを感じるのか?

なぜ証明写真ボックスへ入るのに恥ずかしさを感じるのか?

ついこの間、緊急で社員証の写真を更新する必要があったので、証明写真ボックスを利用してきました。

他人に自分を撮られるのが苦手なので、写真館などでプロのカメラマンに証明写真を撮ってもらったことはほとんどありません。
(就活や転職の履歴書の写真ももちろん証明写真ボックスです。)

ところで、利用したことがある人なら共感できるかと思いますが、証明写真ボックスに入るのに恥ずかしさを感じませんか?

証明写真ボックスを利用したことがある方ならわかると思いますが、誰かに見られていないか気になってソワソワしちゃいますよね。

今回は、この証明写真ボックスへ入るのに恥ずかしさを感じる理由を考察してみたいと思います。

筐体という点で共通しているプリクラ、カラオケとの比較

証明写真ボックスと似ている筐体(プリクラやカラオケ)と比較し、恥ずかしいと感じてしまう原因を考えてみます。

証明写真ボックスに入るのは恥ずかしいと感じる一方で、プリクラやカラオケに入ることには恥ずかしさを感じない方が多いと思います。

これは、プリクラやカラオケは複数人での利用が一般的だと思われているからです。

プリクラやカラオケに1人で入ることを想定してみましょう。
(1人用のカラオケ施設があったりしますが、ここでは複数人利用が前提のカラオケに1人で入ることを想定しましょう)

きっと証明写真ボックスへ入るときと同様に恥ずかしさを感じるはずです。

恥ずかしさは社会一般に考えられている思考・行動(社会通念)と個人の思考・行動との間に負のギャップがあるときに感じるものです。

プリクラやカラオケの社会通念は「複数人で楽しく利用するもの」であるはずなので、プリクラやカラオケに1人で入ることはこの社会通念とのギャップを意味します。

だから恥ずかしさを感じてしまうのです。

では証明写真ボックスの利用における社会通念とはなんでしょうか?

証明写真ボックスはそもそも1人で利用することが前提なので、プリクラやカラオケとは別の社会通念が存在するはずです。

証明写真ボックスの利用における社会通念とは

証明写真ボックスへ入るのに感じる恥ずかしさを掘り下げましょう。

おそらく証明写真ボックスに入るという行為自体の恥ずかしさよりも、証明写真ボックスへ入るのを他人に見られることに恥ずかしさを感じるはずです。

他人に見られることに恥ずかしさを感じるのは、他人に見られることでネガティブな印象を持たれてしまうという潜在意識があるためです。

このネガティブな印象とはズバリ。

身だしなみやマナーに対する意識が低い印象だと思います。

就活・転職活動などの証明写真が必要なイベントでは、証明写真は写真館で少々お金がかかっても綺麗に撮るべきという風潮があります。

ネット検索で証明写真についての情報を集めても、証明写真ボックスの写真を使うのはNGという記事があふれかえっています。

これらが、証明写真ボックスを利用している人は、身だしなみやマナーに対する意識が低いと思われると感じてしまう要因でしょう。

つまり、証明写真は写真館で撮るべきという社会通念がはびこっているために、証明写真ボックスの利用に恥ずかしさを感じてしまうのです。

恥ずかしさを取り除く方法

著者は心理学者ではないので、どのようにすれば恥ずかしさを感じなくなるのか答えを出せません。

なので、恥ずかしさ(shame)について研究している専門家の意見を引用し、恥ずかしさを取り除く方法をまとめます。

米イリノイ大学のShahram Heshmat博士が恥ずかしさを取り除く方法を述べています。
5 Factors That Make You Feel Shame
リンク先は英語の記事ですので、以下に日本語で簡単にまとめておきます。

まずは、恥ずかしさを認識しましょう。
そして、恥ずかしさがまぎれるのを時の流れにゆだねましょう。
そうすれば恥ずかしさは次第にかすんでいき、恥ずかしさ以外の感情で置き換えられます。
永遠に続く感情はないのです。

次に、自分で決めている基準やルールを変えましょう。
恥ずかしさを感じてしまう基準が存在しなければ、恥ずかしさを心配する理由もなくなります。

次に、自己非難に陥ってまわないようにしましょう。
自分自身ではなく、自分の外にある環境を非難できれば、その分、恥ずかしさから逃れることができます。

最後は恥ずかしさを他の人に告白しましょう。
自分以外の他者と向かい合って恥ずかしさを感じてしまう出来事や感情について伝えてみるのです。
そもそも告白という行為は、キリスト教における許しと愛の概念と関連しています。
告白は救い難い行為から生まれた恥ずかしさを溶かしてくれる機能があるのです。