『失敗の本質』を読んだ感想

『失敗の本質』を読んだ感想

最近、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』※を読んだり、ゆっくり解説シリーズの歴史モノだったり、Amazon Primeの戦争映画を観たりしています。

※日清戦争から太平洋戦争に至るまでがテーマで、当事者たちが何を考えて戦争という手段を選んだのか、また当時の国民が戦争に対してどんな感情を抱いていたのかを定量的なデータや文献の記録から読み解いています。

そんな中、歴史好きの友人から『失敗の本質』をお勧めされたので読んでみました。

本書の概要

本書は、大東亜戦争における日本軍の失敗を現代の組織にとっての教訓や反面教師として活用することを目的として書かれています。
したがって、日本が大東亜戦争に突入した理由や原因ではなく、大東亜戦争における組織としての日本軍の失敗を組織論という観点で論じています。

本書ではノモンハン事件、ミッドウェー海戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦の6つの作戦を取り上げており、それぞれの作戦失敗の原因を分析したうえで、米軍との比較をもとに教訓をまとめています。

特にインパール作戦の経緯を読んでいると、人間関係や組織内融和の優先によってこんな杜撰な意思決定が行われてしまうのかと、愕然としました。

失敗の教訓を現在の企業に活かす

本書の「失敗の教訓」で述べられている、日本軍におけるグラウンド・デザイン(全体構想)の欠如や組織学習の軽視は現在の企業にもあてはまることだと思いました。

グラウンド・デザイン(全体構想)の欠如

米軍は対日戦略の根幹を、「日本本土の直撃および直接上陸作戦による戦争終結」としていたように、早期に戦争終結へのグラウンド・デザインを確立していました。
一方、日本軍が思い描いていた戦争終結に至る論理は、「ある程度の人的、物的損害を与えて南方資源地帯を確保し、長期戦に持ち込むことで、米軍は戦意喪失し、その結果として講和がなされよう」というように極めて曖昧でした。
このように日本軍は戦争終結のグラウンド・デザインが曖昧だったために、そこから導き出される作戦目的も常に曖昧性が存在していたのです。
こういった曖昧な作戦目的のもと、流動性の高い状況においては重大な判断ミスを誘発しました。
「目的はパリ、目標はフランス軍」というクラウゼヴィッツの言葉の通り、目的と手段は正しく適合している必要があります。

組織学習の軽視

日本軍では、①精神主義の優位性を強調することによる敵戦力の過小評価および自己の過大評価、②物事を科学的・客観的にみる姿勢の欠如、③情報の共有システムの欠如、④「足を靴に合わせる」ような教育方針によって組織学習が軽視されました。
これらによって、日本軍は組織全体として目標や問題の基本構造を与えられたうえで最適解を探し出す、いわばシングル・ループ学習に陥っていました。
しかし、組織が長期的に環境に適応していくためには、目標や問題の基本構造そのものを再定義し、改革していくダイナミックなプロセスが不可欠です。
自己の行動を絶えず変化する現実に対応するべく修正し、さらに学習する主体としての自己自体を作り替えていくという自己革新的、自己超越歴な行動(ダブル・ループ学習)が必要だったのです。